『当たり前』という呪縛

皆様、こんにちは!

ハナセルカウンセラーの高橋正幸です!

今日は『「当たり前という呪縛」について』のお話をしようと思います。

最近よく耳にする言葉で、

『そんなの当たり前だよ』

『そんな当たり前のことができないの?』

『そんな当たり前のこともわからないの?』などと、

『当たり前』という言葉は、よく日常の会話の中で使われることが多いと思います。

その上で、

『そもそも当たり前ってなんなの?』という疑問が生まれてきます。

『その「当たり前」とは一体誰が決めたの?』という問いです。

わたしたちは、何気なく日常的に『当たり前』という言葉をよく使いますが、何を定義に『当たり前』という言葉を使っているのでしょうか?

おそらく大体の場合は「その人にとっての当たり前」です。

もしくは「これは世の中一般の当たり前だから」という程で「その人の主観によって塗り替えられた当たり前」です。

簡潔に言うと、「わたしにとっての当たり前」「わたしの主観で見た、世の中一般の当たり前」ということになります。

そうなってくると、矛盾が生じます。

『その人にとっての当たり前は、自分にとっての当たり前ではない』ということです。

「そもそも当たり前なんて存在しないのではないか?」ということになります。

『当たり前』という概念は、厳密には実際に存在していなくて、「その人の育ってきた環境や見てきた世界によって主観的に形作られたもの」と言ってもいいかもしれません。

人間関係によるトラブルは、その個々が前提とした『当たり前の価値観の不一致』によって引き起こされるケースが多いのではないかと思います。

『自分にとっての当たり前は、相手にとっては当たり前ではない。』

『相手にとっての当たり前は、自分にとっては当たり前ではない。』

実はここが意外と盲点だったりします。

人は、自分が思っていること、感じていること、見ている景色が、あたかも他人も同じような感じ方、見方をしているように勝手に思い込んでしまいます。

冷静に考えると、そんなことはあるはずがないと思えるのですが、いざコミュニケーションをスタートすると『そんなこと』も忘れてしまうのです。

自分が良かれと思って話したことが、相手にとっては不快なことだったり、

自分はAと思っていたことが、相手にとってはBだったりと、

冷静に考えれば『育ってきた環境』、『生まれ持った性格や考え方』、『人生の方向性』、『趣味嗜好』など、100人いれば100通りの感じ方、考え方があります。

なのでそもそも「自分と他人が何もかも完璧に合うこと」というのはありません。

もしかすると、それに限りになく近い存在が『親友』と呼べるのかもしれません。

ただ、そんなことはまれです。

根本は似ているけど、それ以外は似ていなかったり、

根本は似てないけど、それ以外が似ていたりと、必ずといって違いはあります。

相手に、自分の思う理想や完璧な姿を求めてしまうと、必ず人間関係に歪みが生じてしまいます。

なので前提に、『自分にとっての当たり前は、相手にとっての当たり前ではない。それ故に、当たり前という概念はかなり主観的なもので、そもそも当たり前など存在しない』ということを念頭に置いておく必要があります。

この『当たり前という呪縛』から解放されることが、人間関係においても、豊かに生きていくうえでも、とても重要な要素だと思います。

そうすればもっと、世の中や他者と関わる時に『当たり前という呪縛』から解放され、透き通ったレンズで世の中や他者を見ることができると思います。

当たり前など存在しないのだから、これからは『誰かの当たり前、世の中の当たり前』に自分を合わせるのではなく、自分の価値観を大切にして生きていくことが大切だと思っています。

『"当たり前など存在しない。自分の価値観を大切に生きましょう"』

今日は『「当たり前の呪縛」について』のお話をさせて頂きました。




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