夫婦の不調和音

更新日:2月9日

夫:「俺は自由人だから自由じゃないと無理」 私:「せめて今から帰るねとか、○時には帰るねとか、連絡してほしい」 夫:「監視したいのか?」 私:「そうじゃないよ。貴方の自由を尊重しているから仕事帰りの趣味を認めているのよ。ただ、ご飯を作って待っている私の気持ちも尊重してもらいたいだけ」 夫:「俺はこんなこと言うお前のせいで最近は趣味もつまらない。当直の日だってお前に電話して時間割いてやっているのに、自由なんてない!不自由でしかないんだ!」 最近、こんなことで私は涙を流しました。

夫は週に1度は当直があります。 私を安心させたくて電話をしてきてたのか、それが義務化になってたのか、彼の気持ちはわかりません。 ただ、私から電話を頼んだわけではないのに…こうも言われて結構キツイなと思っている自分の気持ちだけはハッキリとわかります。 当直の日、いつものように電話をくれましたが、夫の仕事と愚痴を聞き終えた頃に少し間があったので、ちょうどいいタイミングだと思い 私:「当直大変でしょうから、一人でゆっくりできる時ぐらいは一人でゆっくりしてね。電話嬉しかったよ。ありがとう。」 夫:「なに?なんか冷たくない?話したくないみたい。」 私:「そんなことないよ。」 夫の声のトーンが一瞬さがり、「わかった。おやすみ。」と… 電話を切ったあと、なぜか私の手が震えて…

ただ、ため息が1つでました。 別の日の朝、「最近表情が固いよ。何か言いたいことあったら言ってね。」と夫は気を遣ってか言ってくれるものの、言えば最後で、「俺を仕事に遅刻させる気か!」と気が狂ったように怒り、尖った言葉の矢を何本も何本も突き刺してきます。 私の癖なのか、怯えている自分がいるからなのか、ときどき無意識で「ごめんなさい。」と咄嗟に口走ることがあり、 「なんでごめんなさいって言うんだ!俺が何かしたって言うのか!」とも怒られます。 ある朝、スケジュールを聞いておきながら、朝寝坊をした夫が、起こさない私が悪いと怒ります。 「スケジュールは監視したいがゆえに聞いているのか!」と。 確かに起こさなかった私はひどいです。 夫のお弁当作るために早く起きていた私は、遅刻だと分かっておきながら、わざと起こさなかったのですから。困ればいいと思いました。私の日頃の苛立ちを晴らすたもにも私は意地悪をしたのでした。認めます。この時の私は最低です。 結局はお弁当は置いていかれました。 そして、「あなたはアンガーコントロール士の資格を持っていながら俺に嫌がらせをした。きちんとコントロールするべきだ。」と言われました。 私はようやく思えました。 私にここまで酷い扱いをしてくる人に 私は何を望んでいるのだろうかと。 S◯Xはもう16年ぐらいでしょうか…私から誘うことしかなく、そのたびに断られます。 虚しさだけが膨大に膨らんで、夫を愛し続けることができるか、私は今とこの先は幸せか、ふと自問自答します。 「お前が欲しいのは恋愛ごっこだ。愛がなにか分かっていない」とそう言われました。咄嗟に返す言葉が見当たらず、悔しくて悲しくて涙がポロポロ流れます。 家族を養うことも、もちろん愛なのですね。持ち家を与え、車を与え、生活費を渡し、飲み食べに困らないほどの不自由ない暮らしに近づけてあげることは大変なこと。これも愛であり、これを愛と思う価値観の人も尊重するべきことで、決して当たり前ではないことには感謝しています。 しかし、借家でいいし、自転車でもいい、生きていくだけで精一杯でもいい。「今日の月は綺麗だな。でも君にはかなわない。」とか、「今日も君の為に頑張れて幸せだった」といってもらえる。または、思ってくれている。そんな暮らしの方が幸福感は断然高いのではなかろうかと思っている私の価値観も尊重されてもいいはず。 そうじゃなくとも、

攻撃的な言葉を放つ必要はあるのだろうか。

辛い経験は、自分を見つめ直すチャンスだと思いました。自分の心の声を聞くことで、「私らしく生きること」ができる。

何の問題のない自分を責める必要などないことに気づきます。 自らの尊厳を守り、世間の勝ち負けや常識・非常識とは無関係に、人生を誇りに思い、私のまま生きようと、少しだけ強気になれました。 世界中に今この瞬間、辛い気持ちを抱いている方はきっとたくさんいるでしょうけど、エールを送りたいです。 冷酷で不条理なことが多い世の中で、どうか惨めにならないで欲しいです。 比べること、非難すること、否定すること、侮辱、不信、差別、競争したりすることで、人間性を失ったように生きるのは虚しいことだと私は思います。 心理学を勉強して資格も得ても、 アンガーコントロールの資格も得ても、 中田敦彦さんのYouTube大学を観ても、 心理学から宗教関連の本まで読み漁っても、 神社に手を合わせに行っても、 瀬戸内寂聴さんの御講和の音声を聴いても、 日々いろいろあると 心はなかなか落ちつきません。 「人生は学校で、そこにおいては、幸福より不幸の方が良い教師だ」と仰られた方がいたそう。 つらい日々も、笑える日につながっていると私は強く信じたいです。 私は心の中でこう呟いたのでした。 「私は私が大切にしたい心を大切にします。さようなら。お世話になりました。」 離婚するわけではないけれど、線引きをしました。 私のいいところは、 自分以外のそれぞれの人格を尊重できるところだと思っています。 どんな人も愛してあげれることが私の良さだと、自画自賛でしょうか?

私は私を慰め、また、褒めてあげたいです。

マザー・テレサの言葉の意味を痛感しています。




どちらが正しいとか間違いとかじゃなく、 私は私。これが私。 こんな私がそんなに嫌いなら捨てていただいて結構。 どんと胸はって生きればいいのだと、そう思えた今日この頃です。 ご覧いただき、ありがとうございました✨🌈

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このコラムを書いたカウンセラー オンラインカウンセリング「HaNASERu🍀」の№111の小嶋咲です。 一般カウンセラーとして、お悩み事・ご相談・愚痴・雑談などなど、あなた様の心の声にそっと寄り添います。



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